今年(2005年)1月 友人と食べ歩き旅行に行った。
カキとフグが目当てで 出発前に決めたのはおよその行程だけである。
時刻や宿泊場所などは 行き当たりばったりに決めようという気ままな旅で
ある。
グループ4人のうち 50代の若者(!)1人以外は年寄りなのに なぜ青
春旅行かと言えば 青春18切符 を使った貧乏旅行だからである。
1.赤穂にて:(1日目)
赤穂駅へ11時過ぎに着き 牡蠣を食べに行くことにした。
案内所で聞いたお勧めの店は海べりにあり 駅から5キロ位離れていたので
200円の貸し自転車を利用することにした。
冷たい風の中を30分近くかけて自転車をこぎ 「くいどうらく」 という
店に着いた。素朴な造りの店で 食堂と牡蠣や魚を販売するコーナーとが隣
合せになっていた。早速ビールを飲みながら「カキづくし」に舌鼓を打った。
生・焼き・フライ・酢の物などが続き 仕上げはカキ飯だった。
アルコール込みで5,000円余りと満足の値段だった。
くいどうらく というお店 すぐ近くにあったカキ処理場
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腹ごしらえが済んでから広島に向かっ
た。今回は4人旅だったので 2人づつ
で将棋と碁を打ちながら電車に揺られた。
電車を乗り継ぐときは さしかけの盤を
崩さないように注意しながら移動した。
勝敗は懐に響くのである。
←碁盤と将棋盤を持って移動
2.広島にて:(1日目)
広島に着いたのは夜7時近かった。
赤穂で昼飯をたっぷり食べたので 夜は広島焼きを食べることにした。
駅の近くのマーケットは閉まっていたが その一角にお好み焼きの小さな店
が開いていた。店の主人は40代くらいで若かったが 「うちではお客様に
焼いてもらうことはしていません」と調理にはこだわっているようだった。
さっとクレープを焼き イカや豚肉を軽く焼いた。具を一緒くたにして焼く
ようなことはしない ということを言外に強調している感じだった。
「広島では 広島焼き とは言わない」広島焼きが出てきたのは 注文して
から1時間近く経っていた。流石にこだわりの味がした。
腹ごしらえが済んでから麻雀をし サウナに飛び込んだのは1時頃だった。
3.下関にて:(2−3日目)
広島を朝8時20分に発ち 下関に12時半頃着いた。
駅から20分余り歩き 海辺の唐戸市場に出かけた。あいにく食堂は定休日
だったが 鮮魚市場の一部が営業していた。フグの刺身を市場で買い たま
たま開いていた小さな店のカウンタでフグ酒を飲みながら刺身をつまんだ。
翌朝 タクシーで再び唐戸市場に駆けつけた。
海辺の食堂の魚料理はうまいものである。市場の2階にあった食堂で 朝か
ら賑わっている店に入った。フグ定食は1,100円で味も量も満足できた。
下関ではフグを 福 と呼ぶ。福を食べて気持ちが豊かになった。
ここの対岸は門司である。少し足を延ばせば 義経軍が平家を壊滅させた
壇ノ浦に行けるが 今回は断念した。
←唐戸市場
関門橋(対岸右手は門司)
4.宮島にて:(3日目)
宮島口というJRの駅から宮島まではフェリーで10分ほどかかる。
フェリーは2社が運航しており 1社のフェリーはJRの切符を持っていれ
ば無料で乗れる。
厳島神社は去年の台風でかなりの損傷を受け まだ修復が終わっていなかっ
た。私は一人でゆっくりと歩いて写真を撮った。写真を撮ってから焼き牡蠣
と焼きちくわを食べた。
←フェリーから
修復作業が進められている
5.再び広島にて:(3−4日目)
夕方再び広島に着き 再び2日前と同じ雀荘に寄った。
10時頃に雀荘を出てホテルを探した。一昨日のサウナは2,000円 昨
日のサウナは2,500円と安上がりだった。私はサウナに泊まったのは初
めてなので面白かったが 流石に3泊もサウナにする気にはなれなかった。
一人はどこかに行くと言って別れたので 3人でホテルに泊まった。
翌朝 早めに起きて一人で写真を撮りに出かけた。
市電に乗り 原爆ドームと平和祈念公園を訪ねた。公園のある所は かつて
色々なお店が並ぶ商店街だったそうである。
ドームは去年の台風で壊れた箇所の修復作業が行われていた。
市電から
平和祈念公園
原爆ドーム
6.坂出にて:(4日目)
食べ歩きの最後は 讃岐きうどん だった。
昨夜別れた一人と岡山で合流し 坂出に行った。坂出駅の改札正面にある
「亀城庵」という店が目当てである。ここは うどん の他に おでん が
美味しく 値段も手頃だった。
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駅の近くから 讃岐富士 を撮った。
確かに形は富士山に似ている。
しかし形が整っているというだけで も
うひとつ面白さに欠けている。
そうなのだ。
近江富士 のような変化
に乏しいのだ。
←讃岐富士
岡山に戻って雀荘に寄った後 駅近くの食堂で夕食を食べた。
ここは同行者が何回か来たことがあるということだった。おかずは棚に並べ
られているものを好きなだけとって食べる形式の大衆食堂だった。
味は上々だった。食べ終わってから食器を返すときに清算した。ご主人が大
きな算盤で計算するのが味わい深かった。
(2005/2/28)
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